下北沢に住むことの意味

6年住んだ麻布十番から、去年の秋に下北沢へ引っ越した。


なぜ下北沢かといえば、TBSとNHKで帯のレギュラーを持っていた為で、最寄駅の赤坂と代々木公園にそれぞれ乗り換えなしでアクセスできる立地だからだ。

しかし、引っ越した直後にNHKの番組が終わり、今年に入るとTBSまでお払い箱となる憂き目に遭ったかと思えば、今度はテレ朝と毎日放送でレギュラー番組がはじまるという幸運に恵まれ、結局、仕事場が赤坂と旧住所の麻布十番になるという塞翁が馬チックな出来事があり、半年経たずして下北沢に住む地理的な理由が消失した。

むしろ引っ越さないほうが良かったんじゃないか? とは口が裂けても言いたくないので、下北沢に住むことのイデオロギーをなるはやで構築しようと心に決めた。

その為には、今日から下北沢を地名でも街でもなくひとつの「思想」として捉えることが必要であり、僕は下北沢にJ.P.サルトルが説くところの「アンガジェ」しなければダメナンデス。

茶沢通りのバス停で「東北沢があるのに西北沢がない理由」を巡り待合客と拳を交えて討論し、北沢タウンホールの窓口で「上北沢と下北沢はなんでこんなに離れてるんだ、間違えて芦花公園まで行っちったじゃないか、わしゃもう死ぬよ」と怒鳴る老人の憤怒に共感できる人間になれたとき、僕は初めて下北沢に住んでいる意味を持つことができるだろう。

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